グラフィックレコーディング(記録)だけでは

問題は解決できない


絵があって分かりやすいね」は、問題を解決するうえでは決して褒め言葉ではありません。議事録として発言をそのまま「文字」+「挿絵」にするグラフィックでは、議論や組織のモヤモヤは解けませんネガティブな感情を扱うグラフィックファシリテーションでは、話者の似顔絵を描く「誰が何を言ったか」が分かるグラフィックレコーディングは、時に発言者に安心安全ではない場を提供してしまいます。「誰が言ったか分からない」のも大事なポイントになっています。弊社「絵巻物」は正確な記録ではありません。みなさんが言わんとしたいことをその通りに描きたい、広げたいと思って毎回臨んでいます。でも期待通りの絵が描けないこともあります。それをフィードバックしていくのがグラフィックファシリテーションでもあります。



「論理的な」思考や議論(*)では解けない問題を


1)「絵巻物に変換」して解く。

#「9つの表情+セリフ」

2)普段の会議とは「真逆」から解く。

#「左脳的議論 VS 右脳的対話」

3)対話を「ネガポジ設計」して解く。

#「ナミダとハート」 #「ネガポジ曲線」 #「CAN’Tの壁」#「べきだ箱」


「論理的な」思考や議論とは

議論、意見、考え、結論、ゴール、アウトプット、要点、課題、箇条書き、キーワード、効率、短時間、言語、数字、根拠、分析、説明、説得、批判、正解、ソリューション、どうすべきか、どうあるべきか、左脳モード…etc.




1)「絵巻物に変換」して解く、とは?


言葉を「絵巻物に変換する」という作業で何をしているかといえば、とにかく『人』を描きたい」。どんな技術も、仕組みも、システムも、サービスも、連携も、なんのために悩み議論しているかといえば、その先にいる『人』に、より良い未来を届けるため。そんな「とにかく『人』を描きたい」という絵筆バロメーターを持って実際に話し合いに立ちあうと、言葉を「絵巻物に変換する」過程で、他社では描いたことのないその会社や組織・商品だけの絵が描ける一方で、時に絵筆に不具合が起きてきます。よくある「不具合」をいくつかご紹介します。




例1:どんな絵を描けば?絵筆が迷う…

ありきたりな言葉、ビッグワード


具体的な絵に描けないとき、それは話している皆さん自身も、つかみどころがなくフワフワした議論に居心地悪くモヤモヤしています。「たくさん移住してほしいって、何人描く?」「品ぞろえが豊富って、何をどれだけ描く?」「上流から下流へって、カスタマーの私は下?」「洗浄力がある、って具体的にどんな力を描こう?」「白くなる、ってどんな白?」「安心安全な暮らし、って?」「にぎわいがある、って?」「全体最適って?」」「DX…具体的な絵に描くなら?」スマートシティ、DX、自動運転、工場の無人化…と、技術が主語になっていたら要注意。絵筆が感じた違和感や迷いはその場でフィードバックさせていただきながらより具体的な話し合いで皆さんの視点や思いの共有をご支援しています。




例2:「カスタマー」ってだれ?

「主婦」ってどんな人?「シニア」って何歳?


上の絵は「定年退職した人たちに向けたアイデアソン」。60歳前後を想定していたのに若手から出てきたアイデアは「シルバー写真コンテスト」とか「老後の家を自分でつくる」とか。老後と言う言葉を素直に受け取れない人たちが思わず描けてきたという絵です。「カスタマー」「主婦」「高齢者」「Z世代」「子育て世代」…。もっと解像度の高い、具体的な話し合いをして、具体的なサービスや心に届くメッセージを届けるご支援もしています。




例3:そのビジョン、「誰のために」話し合っている?

その未来に、生活者は、あなたは、ワクワクしてる?


あるプロジェクトで、AIで、IoTで、家も家電もどんどん賢くなって「豊かな暮らし」「スマートライフ」を実現するというビジョンを語り合っているのに、「賢くなる家電」が何でも先まわりしてくれるので、人間が動く必要もなく、どんどん「肥大化」していく、太って家から出られなくなった怠惰な人間が描けてきてしまった。家は、家電はスマートになっていくのに、人間はメタボになっていく。

別の会社のプロジェクトでも似たような議論が聞こえてきました。「セキュリティも万全」な家に住む彼は、有事に備える必要もなく、快適な空間に守られ、家の外に出るほうが危険な状況。箱入り娘ならぬ「箱入り王子」で王冠をかぶらせてみましたが。「これが皆さんが心から望む豊かな暮らし?わたしはイヤ~」とフィードバックしながら、プロジェクトメンバーと本当に心からワクワクする未来を描くご支援もしています。「ワクワクするか」どうか、はとても大事な問いでもあります。絵巻物の上では「ワクワクしているハートが描けるか」どうかは、その議論が「絵空事で終わるか、終わらないか」のバロメーターにもなっています。




例4:バックキャスティングで

描けた未来に「のっぺらぼう」…


バックキャスティングという手法が人気で、ポジティブに「未来のありたい姿」「ビジョン」から語り合う場が増えました。しかし、「ポジティブに」ありたい未来(to be)だけの議論は、絵巻物の上ではどうしても「他でも描けるありきたりな未来」しか描けません。未来を語り合っているのに、技術や仕組み、インフラ、ビジネスモデルの話が先行して、「幸せそうな人たち」が描けてこない議論は結構多い。下手すると、人物すら描けず、最先端技術だけが並び、「のっぺらぼうな」人の絵だけで構成できてしまったりします。実際、各社ウェブサイトにも綺麗なビジョンの絵をよく見ると思いますが、その絵の中には「のっぺらぼう」や、もしくは表情はあっても同じ「笑顔」の人たちが描かれていたりします。そして、そんなビジョンほど「社員が腹落ちしていない」「社内に浸透しない」ということから「ワークショップをやりたい」という声をもらっています。




「具体的な一個人」が描けないと、

問題は解決しません。


新しい事業やサービス、ブランディングやマーケティングの議論では、「リアルで具体的な一人の絵」まで描きたい。ワークショップでも「デザイン思考」「人間中心設計」「生活者視点」を取り入れ、いかに「自分事」として語り合えるかに取り組まれていると思いますが、絵巻物の上では共通して「リアルで具体的な一人の絵」が描けるかどうか。「具体的な一人」を思い浮かべていないと→「生き生きとした人」が描けてこない→だから問題が解決しない、と言ってもいい。「具体的な一人」が描けてくると、「具体的なまだだれもが解決できていないモヤモヤした気持ち」が描けてきて、なぜこれまでの問題が解決しなかったのかという根っこの「本当の問題」が具体的に浮き彫りになってきます。

愚痴や不満を価値に変れるのは「一人称」で語れるかどうか→blog「NANOX」「カツコ」「Webカメラ」




絵筆は、「表情」豊かな「人」を描きたい

#「9つの表情+セリフ」 →詳しくはこちら


絵巻物」は、未来につながる時空間のある世界。

「絵巻物」という「左から右に続く長い紙面」は、「より良い未来」へつながる「時空間のある世界」とも言えます。その中に描きたいのは、普段のわたしたちと変わらぬ「五感を働かせた生身の人間」です。「表情豊かな、生き生きとした人を描きたい」という絵筆が、1つのバロメーターとなって、その話し合いが本当に「お客さまのために」「社員のために」「生活者のために」「未来の子供たちのために」なっているのか、つい反応してしまうわけですが、従業員のための改善・改革の議論も、お客さまのためのサービスや仕組み、システムづくり、住民のための地域連携の話も、絵筆を持って聞いていると思った以上に「人」が描けてこない議論は多いのです。




2)普段の会議とは「真逆」から解く、とは?


ビジネスの議論、本来なら、そのまま「論理的な」思考と議論で「効率よく」どんどん前に進んでほしい。でも何か「よく見えない」せいで「実は」著しくその生産性やスピードを落としているとしたら、もったいない。そんなときは「情報の共有」よりも「感情の共有」を




ネガ≠課題

ネガティブな「心の声」を描くが速い。


我々はネガ=課題から話し合っています」と言われることがよくありますが、ネガ=課題ではありません。「課題が顕在化」しているのに、サーベイ結果をもとに施策も実行しているのに、解決していない何かがあるとしたら、ネガ=「ネガティブな感情」の共有がされていません。「本当の問題(本当のネガ)」がまだ「見えていない」可能性があります。

「表情」豊かな「人」を描くとは、具体的には「感情」まで描きたい。特に笑顔だけでなく、喜怒哀楽、ナミダ、「セリフ」に書けてくる「ネガティブな心の声」(ネガティブな感情)まで描きたい。そしてそのネガの絵から、論理的思考と議論による「課題解決」では解決しなかった理由、「本当の問題」が見えてきます。そしてネガこそポジの裏がえし。「本当の未来」への入り口が描けてきます。



「左脳的議論」ではなく

「右脳的対話」で解いていく。


情報の共有」ではなく「感情の共有」をするために、具体的に何をしているかといえば、普段の会議とは「真逆」のことをしているとも言えます。例えば「どう考えたか」と尋ねるのではなく「どう感じたか」。「どうすべきか」と問うのではなく「どうしたいか」。メンバーに何かを「伝える」前に、メンバーに「問う」そして先に「喋ってもらう」。「解決すべき課題は何か」と問うのではなく「モヤモヤしていることは?」などなど。普段の会議と「真逆」のことをするというのは、絵筆を持たなくても出来ます。

もし、普段の会議が一方通行の報告ばかりで「伝えよう」としていたら、一度「伝える」前に「問う」そして相手に先に「喋ってもらう」機会をぜひつくってみてください。伝えたいことは会議の一番最後にして、まずはメンバーからそのテーマについて「モヤモヤしていることは?」と尋ね語らせてみてると、その後で「伝えたいことがスッと伝わる」不思議を体験するはずです。「伝わらない」とモヤモヤしていた相手にこそ、こちらが話す前に、まずは相手に話をさせてあげると、思いもよらない解決策や賛同者まで「見えて」きます。

詳しくはこちら→#「左脳的議論vs右脳的対話




まとめない。すべて拾って描き留めるから、まとまる。


絵巻物を見た方から「どうやって議論をまとめているんですか」という質問をよく受けますが、まとめていません。発言のすべて(可能な限りすべて)を絵筆で拾っていきます。出来る限り「取捨選択せず」拾っていきます。

普段の会議は、要点にまとめキーワード化し、結論と数字を重視して、無駄なものは削ぎ落としていきますが、じつは先を急いでまとめるその行為が、いろんな「気持ち」を置いてきぼりにしています。

弊社グラフィックファシリテーションは、普段の会議なら聞き流されるような発言の全てを、拾って絵巻物に描き出していきます。すると「メンバーが腹落ちしない」理由や「カスタマー視点が持てない」理由が描けてきて、そしてそれらすべてをみんなで俯瞰したとき、自然にまとまっていきます。当初、左脳的に分類していたこととは全く違う形でまとまっていきます。




正確ではない絵巻物は、議論の「タタキ台」。

「雑で途中で不完全」だから、巻き込める、1つになれる。


弊社グラフィックファシリテーションは、「正確に記録」する「議事録」とは目的が違います。プレゼン資料で「説得のため」に作成される図解やイラストとも目的が違います。「正確性」を求めたり、「説得しようとする」のも、「論理的」な思考や議論の特徴です。

「絵巻物」は、みなさんの発言を聴いて「こんな感じですか?」と問いかけ、「そんな感じ」とか「私は違った」という声をさらに描き足して、より良い未来へ議論を進めていくための「タタキ台」。みなさんの想い視点・視座・視野をあわせていくための議論の「タタキ台」。「雑で途中で不完全な」絵巻物です。

ただ、それゆえに「雑で途中で不完全な」絵巻物は、ツッコミどころ満載で、後から見た人に「参加の余地」があるのが強みです。興味をもって前のめりでネガの絵を指さして「そうそう!」と笑ったり、「これどんな議論があったんですか」という彼らの能動的な姿勢が「自分事」として巻き込んでいく力になります。多くの組織で「ポジティブで前向きな結論」や「決まった結果」だけ伝えても、「メンバーの心は動かない」という課題を抱えています。それは絵でいうと「完成された綺麗な一枚絵」を渡された状態。「ありたい姿」や「ビジョン」も「完成された綺麗な一枚絵」にまとめがちですが、その完璧な最終形を伝えられた側は、参加の余地もなければ否定のしようもないだけに受け身になるしかありません。

モヤモヤ」から始まるネガポジ物語を「途中を共有」できる絵巻物は、仲間を巻き込みやすく、実際、多くの人は結論を聴く前に「途中から」巻き込まれたいんです。そして、本気でカタチにしたいという未来を描いた「絵巻物」は、どんどん実行に移っていく限り、決して完成しません。モヤモヤを晴らして、さらにワクワクするモヤモヤが見えてくるからです。




本当のネガ

「本当の問題」をあぶりだす。


複数の課題をモグラ叩きするように、一つ一つ解決策を立てても苦しいとき、いま扱っている課題は、本当に解決すべき課題なのか。「本当の問題」の捉えないまま、先を急いでいるから、堂々巡りの話し合いをしている可能性が高い。「アイデアはいくつもあるが面白くない、イノベーティブじゃない」「施策やソリューションばかりが増えて疲労している」。そんなとき「本当に解きたい問題(本当のネガ)」をつかまないまま、解決策(浅いポジ)を語り合っている可能性が高いです。

そんな「論理的」な思考や議論では解決しない何かがある時、グラフィックファシリテーションでは、「ポジティブに」議論をする前に、生活者の、従業員の、まだ顕在化していないけれど必ずそこにある、実行を止めている「モヤモヤ」とした「ネガティブな感情」から語り合ってもらっています。絵巻物の上ではそれが「本当の問題」をあぶりだして、ネガこそポジの裏がえし、反転させて解決するのが近道です。




3)対話を「ネガポジ設計」して解く、とは?


「ナミダ」と「ハート」が描けないのは

「他責・他人事」のサイン。


「ポジティブに」ビジョン(to be)やアイデア、施策(to do)だけを語られても、絵巻物の上では、それを本当に実現したいという皆さんの「ハートが描けてこない」という現象がよく起こります。それは、描いても描いても、結局、実行されないというサイン。「何のために絵に描いている?」という絵筆のギモンは、議論しているみなさんが感じている「何のために話し合っているの?」「この先は?」「で、誰がやるの?」「アイデア出しは楽しかったけど…」いう気持ちと同じです

その話し合いやプレゼンに「ハートが描けるか」どうか。絵巻物の上で「ハート」が描けないとき、それは、その話し合いをしている人たちが「他人事」で議論していたり、結果「絵空事で終わってしまう」サインです。「ハート」が描けない未来プランは実現しません。「ハート」が描けないコンセプトは伝わりません。「ハート」が描けない事業プレゼンには賛同者や支援者が現れません。

一方で、「ハート」が簡単にいきなり描けることも、まずありません。一人一人が心からワクワクし、未来行動を起こし、自律自走するサインでもある「ハート」が描ける前には必ず「本当に解きたい問題:本当のネガ」のサイン「ナミダ」が描けてきます。

「ナミダ」とは、例えば、社長のナミダ、部長のナミダ、同僚のナミダ、じぶん自身のナミダ、生活者のナミダ、地域住民のナミダ、高齢者のナミダ、父のナミダ、母のナミダ、子どもナミダ…。その「ナミダ」を「ほっとけない!なんとかしたい!」と思うから「ハート」が自然と描けてきます。

「社長の目にナミダ」が描けた話→gihyo.jp連載第50回『分り合えない会議こそ「悲しみ」の共有を 〜気持ちを汲み取る究極のグラフィック「ナミダ」』




「ナミダ」が描けるところまで、

対話の「ネガポジ曲線」をいかに沈められるか


グラフィックファシリテーションは、「絵を描く」というパフォーマンスが注目されやすいですが、「本当の問題」を解くためには「描く前」の「事前設計」の打ち合わせがとても大切な時間になっています。「ナミダ」が描けるところまで、対話の「ネガポジ曲線」をいかに沈められるか。それが、とても重要な指標になっています。

「他責・他人事」で語っているうちは、「ナミダ」はそう簡単には描けてきません。カスタマーの気持ち生活者の気持ちを「自分事として感じられる」にはどんなプログラムにしたらよいのか。参加メンバーが、自分自身の想いを、どうしたら素直楽しく語れるのか。みんなが本当に話したい、共有したい、ネガティブな感情とは何なのか。どんな問いを立てたら楽しく語り合えるのか。そもそもどんなに集まってもらったらよいか。安心、安全にネガを吐き出してもらうには。そんな話し合いを重ねています。




多くのリーダーが「他責・他人事」と戦っている。

『CAN’Tの壁』『べきだ箱』『不感症ロボット』『思考停止ロボット』


上の絵は「未来行動を起こせない理由」としてよく描く絵。多くのリーダーたちがこうしたメンバーに対して苦心しているとも言えます。

打っても響かない…『不感症ロボット』、言われたことだけやっている『思考停止ロボット』、会議では合意を得たはずなのに、メンバーが心の中で「そうはいってもね…」とつぶやく『CAN’Tの壁』。それらが組織全体の多くの実行を遅らせているという絵。じぶんの中では「こうするべき。当たり前でしょ?」という『べきだ箱』から外を見ていると、相手を受け入れられない、発想が広がらない、といった制限をかけてしまっているという絵。

『こうあるべきだ』と知らず知らずのうちに、自分で自分を縛り付けている『べきだ箱』から、いかに解き放ってあげられるか。そのために、まずは自分がどんな『べきだ箱』にハマってしまっているのか。そこに気づくところに解放のヒントがあります。

いくら「ありたい姿(to be)」を語っても、いくら「アクションプランや行動宣言(to do)」を語っても、心の中で「そうはいってもね…」とつぶやいていたら、その日の議論も研修も全くの絵空事。『CAN’Tの壁』をいかに超えるか

こうした、その会社や組織が持つ特有の文化の中に当たり前に潜んでしまっていることも多く、なかなか気づきにくいですが、そこに自ら気づけるにはどうしたら?事前設計からすでにそれらへの取り組みは始まっています。そして当日も、第三者の立場から見えることをお伝えしています。



ワクワク未来行動を起こしたくなる

「ハート」に火をつけるために「ネガポジ設計」。

いかに「当事者意識」を持って、「自責」で、「自分事」として、話し合い、行動してもらえるか。世のリーダー共通の想い。実際、過去400超の絵巻物の現場で、主催者のみなさんが持っていた共通の想いです。

弊社グラフィックファシリテーションが何のために導入されているのか。入り口は「絵があったらいいな」「モヤモヤしている」「みんな考えていることがバラバラ」といった違和感からの依頼がほとんどですが、本当の目的は、どこか「他責・他人事」になってしまっている議論を、いかに「当事者意識」に火をつけて、「自責・自分事」として、一人一人が「未来行動」を起こしたくなる状態に変容させることができるかどうか。

絵巻物の上ではシンプルに言うと「ワクワクしている絵」が描けてくるかどうか。「ハートが描けてくる」かどうか。一人一人の心(ハート)に火をつけるために尽力いたします。



原体験:絵空事で終わらせないために。



グラフィックファシリテーター®️やまざきゆにこ

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